大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2162号 判決

控訴人 深津キミ 外二名

被控訴人 旧姓土谷のぶこと佐野のぶ

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、被控訴人は控訴人深津和七に対し原判決添付目録第二記載の建物が同控訴人の所有であることを確認する、被控訴人は右控訴人に対し右建物についてなした東京法務局新宿出張所昭和三十五年五月十日受付第八七四四号所有権保存登記の抹消登記手続をせよ、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、次のとおり付加するほか、判決の事実摘示と同一であるので、こゝにこれを引用する。

一、控訴代理人は、次のとおり付加した。

(1)  合名会社米倉佐右衛門商店(以下米倉商店という)は昭和十九年三月三十一日解散し、米倉佐右衛門がその清算人となつたが、同人は昭和二十年三月九日死亡し、昭和二十九年二月九日米倉さのが清算人に就任した。その間、米倉商店は清算人を欠いていたので、昭和二十三年八月頃大内省三郎に本件土地の管理を委任することは、出来なかつたものであるので、被控訴人主張の賃貸借契約は無効である。仮りに、大内省三郎に本件土地の管理権があつたとしても、不在者の管理人の管理権というべきもので、民法第二十八条第百三条によれば、賃貸借契約を締結する権限を有しないものである。仮りに、大内省三郎に本件土地の管理権があつて、被控訴人主張の賃貸借契約が成立したとしても、米倉商店は清算中の会社であり、被控訴人の主張する如き長期の賃貸借は清算の目的の範囲外にあつて無効である。また、仮りに、被控訴人主張の賃貸借契約が成立したとしても、結局処分の能力、権限のないものによつて締結されたもので、民法第六百二条第二号により五年を越えることを得ないものであるので、被控訴人主張の賃貸借は昭和二十三年八月から五年を経た昭和二十八年七月末終了したものである。

(2)  控訴人深津キミは被控訴人の昭和二十八年五月以前の本件土地の延滞賃料を代つて支払い、これを代償として被控訴人から本件土地の賃借権を譲受けたものである。

二、被控訴代理人は、次のとおり付加した。

(1)  被控訴人は昭和二十八年五月以前に本件土地の賃料を延滞したことなく、控訴人主張の賃借権の譲渡はあり得ないことである。

(2)  大内省三郎は、米倉佐右衛門の生存中に本件土地の管理を委任されたもので、右米倉が死亡しても委任関係は消滅するものでない。仮りに然らずとするも、右米倉死亡後は米倉商店の社員は米倉さの一人であり、合名会社の如き人的要素の強い会社においては同人が会社を代表する権限を有し、同人から本件土地の管理を委任された大内省三郎は適法な管理権を有するものである。

当事者双方の立証〈省略〉

理由

一、成立に争のない乙第一号証原審証人河田勢以の証言(第二回)により成立を認めうる乙第二、三号証と原審(第一、二回)及び当審における右証人河田勢以の各証言の一部(後記措信せざる部分を除く)によれば、本件土地はもと四谷区伝馬町二丁目二番地宅地百八坪七合七勺の土地の一部であつたが、合筆分筆町名変更などあつて、昭和三十年一月八日には、四谷二丁目十一番地の二宅地十五坪二合九勺となつたこと、右百八坪七合七勺の土地は河田定治郎の所有であつたが、昭和七年十一月二十八日株式会社東京府農工銀行が競落し、ついで昭和十三年一月十三日会社合併により株式会社日本勧業銀行の所有となり、昭和十四年十二月十日合名会社米倉佐右衛門商店が売買により所有権を取得し、昭和二十九年十二月八日河田勢以に無償譲渡するまでこれを所有していたこと、右商店は、河田定治郎に債権があつて同人から債務整理を委任されたので右土地を自己名義で買受けたが、債務整理完了の上はこれを河田定治郎に無償譲渡すべきものとし、昭和十八年五月三十日右商店の代表者米倉佐右衛門が河田定治郎及びその母河田すみにこれを約し、登記に必要である委任状を交付したことを認めることができる。控訴人らは、本件土地は名義のみ右商店としたもので、真の所有者は河田定治郎であつたと主張し、前記証人河田勢以の証言中にはこれに副うものがあるが、これは前記米倉商店が前認定の如き経緯で前記土地を取得した事実と前記乙第二号証の記載と対比すると措信し難く、他に控訴人らの主張を認めて前認定を左右するに足る証拠がない。

二、原審証人鈴木艶の証言により成立を認めうる甲第三、四号証、原審証人大内省三郎の証言により成立を認めうる甲第八号証、成立に争のない甲第六号証乙第十二、十三号証と原審における証人鈴木艶の証言被控訴人の本人尋問の結果(第一ないし第三回)、原審及び当審における証人大内省三郎の各証言によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、前記米倉商店は浅草にあつて前記土地の管理ができないので、終戦前からこれを大内省三郎に委任したこと、米倉商店は昭和十九年三月三十一日総社員の同意により解散し、代表社員米倉佐右衛門が清算人となり同年四月八日その登記がなされたこと、同人は昭和二十年三月十日死亡し、社員米倉義則もすでに昭和十九年八月二十八日死亡していたので、米倉商店の社員は米倉さの一人となつたが、同人は清算人を定めず、昭和二九年二月十三日になつて「米倉佐右衛門が同年一月十八日辞任し、米倉さのが清算人に就任した」との登記をなしたこと、大内省三郎は終戦後米倉佐右衛門が戦災で行衛不明となつたので、その妻米倉さのを三重県の疎開先に訪れ同人から前記土地の管理を委任されたこと、大内省三郎は鈴木艶に前記土地の管理を委任したところ、同人は米倉商店の管理人大内省三郎の代理人として、昭和二十三年八月前記土地のうち本件土地を普通建物所有の目的で期間の定めなく賃料一ケ月金百四十三円五十銭毎月末支払いの約定で被控訴人に賃貸し、権利金として金五万三千三百円を受領したこと、その後賃料は増額されおそくも昭和三十年一月からは一ケ月金九百二十円であつたこと、その間被控訴人は普通建物建築の承諾を大内省三郎から得たが、これを建築せず本件土地を空地としていたことを認めることができる。右事実によれば、合名会社の業務執行社員が清算人となつた場合であるので、同人が死亡すれば社員が清算人を選任すべきであるが、社員は米倉さの一人となつたので、同人が選任手続をなさず事実上消算事務を行うに至つたものというべく、かような場合には商法第百二十一条を類推して、残つた唯一人の社員が清算事務を行いうるものと解すべきにより、米倉さのは適法に大内省三郎に前記土地の管理を委任したものといわねばならない。もつとも米倉さのが清算人であることの登記が昭和二十三年八月当時存在しなかつたことは明らかであるが、法律行為の相手方である大内省三郎、被控訴人において争わない限り控訴人その他の第三者においてこれを否定し得ないものと言わねばならない。控訴人は、「清算人に欠けるから米倉商店は法律行為をなし得ないものである、仮りに米倉商店が法律行為をなし得ても大内省三郎は正当な管理権がないものである、仮りに大内省三郎に管理権があつても、賃貸借締結の権限がなく、仮りにこれがあつても五年を越える賃貸借を締結し得ない」と主張するが、前認定の事実の下においてはいずれも理由のないものである。ついで、控訴人は、清算中の会社がなした普通建物所有の賃貸借は、目的の範囲外に属し無効であると主張するが、合名会社の如き人的会社においては、財産を処分して売得金を分配することなく財産をそのまま分配しうるものであるので、財産を賃貸しても清算を妨げるものとは解せられないので、この点の控訴人の主張は採用し難い。

三、成立に争のない甲第一号証と原審における被控訴人の本人尋問の結果(第一ないし第三回)によれば、被控訴人は本件土地を賃借したが直に建築することなく空地としていたので、本件土地の近所で米倉商店から土地を賃借して荒物商を営んでいた控訴人和七同キミが、必要なときは何時でも返還するから物置場に使用させて欲しいというので、これを承諾し昭和二十八年五月頃から無償で本件土地を右両名に使用させるに至つたこと、また、控訴人和七から家を建てて登記しないと土地の賃借権が消滅すると言われたので、被控訴人は昭和三十年二、三月頃家を建てようとしたが、控訴人和七が無償で土地を使用していることであり、建物をも物置場に使用させて貰えるなら、建築費その他を支出させて貰いたいと申入れたので、被控訴人はこれを受け入れ、その頃控訴人和七が費用を支出して原判決添付目録第二の倉庫を建築し、これを被控訴人の所有とすることとし、被控訴人が必要なときは何時でも返還する約定で控訴人和七同キミに右倉庫を使用させたこと、被控訴人は右倉庫につき昭和三十年五月十日保存登記を経たことを認めることができる。控訴人らは右事実を否認し、控訴人キミが被控訴人から本件土地の賃借権を譲受けたと主張し、控訴人和七の原審における本人尋問の結果(第二回)中には、これに副う供述があるが、前記被控訴人の本人尋問の結果と対比し、前認定の如く被控訴人が金五万三千三百円の権利金を支払つて賃借権を取得したのに、これを控訴人ら主張の僅かの延滞賃料で譲渡することは通常考えられないことであるに鑑み、右供述は信用し難く、他にこれを認めて前認定を左右するに足る証拠がない。また、控訴人和七は右倉庫は同人がこれを建築し同人の所有であると主張し、原審における控訴人和七の本人尋問の結果(第一、二回)中にはこれに副う供述があり、控訴人和七が建築費を支出し登記費用をも支払つたことは、前記被控訴人の本人尋問の結果原審証人須田喜美之助の証言によつてもこれを認めうるが、前記の如く証拠を総合すれば、前認定の如く右倉庫を被控訴人の所有としたことを認めるほかないので、控訴人和七の所有であるのに地主に対する関係で名義のみ被控訴人としたとの点は措信し難く、この点の前記須田喜美之助の証言も措信し難く、他に控訴人和七の主張を認めて前認定を覆すに足る証拠がない。

四、河田勢以が昭和二十九年十二月七日本件土地を米倉商店から無償譲渡を受け、次いで控訴人キミが昭和三十年八月二十二日河田勢以から本件土地を買受けたことは当事者間に争のないところである。原審における被控訴人の本人尋問の結果(第一ないし第三回)とこれによつて成立を認めうる甲第五号証、当審における証人河田勢以の証言の一部(後記措信せざる部分を除く)とこれによつて成立を認めうる乙第十一号証の一、二成立に争のない甲第六号証によれば、被控訴人は控訴人和七或は同キミを介して本件土地の昭和二十九年七月より十二月分までの賃料を河田誠に支払い、その後河田勢以において河田誠に依頼して土地の買収を求めて来たので昭和三十年一月分以降の賃料を供託するに至つたこと、河田誠は河田勢以の親戚に当り同人より依頼されて本件土地その他の売買その他の交渉に当つたこと、従つて河田勢以は河田誠の賃料の領収を承知していたことを推認しうるので、河田勢以は被控訴人の前記賃貸借を承認していたものというべく、従て、前記賃貸借の賃貸人たる地位を承継したものというべきである。原審及び当審における証人河田勢以の証言(原審は第一、二回)には、被控訴人の賃貸借を知らない旨及び被控訴人から賃料を受領したことはないとの供述があるが、前記証拠によれば河田勢以が河田誠に本件土地の売買方の交渉を依頼し、印を渡して乙第十一号証の一を出さしめたことが明らかであるので、右供述は措信し難い。他に右認定を左右するに足る証拠がない。しかして、被控訴人が登記を経た倉庫を所有するに至つた後控訴人キミが本件土地を取得したことは前記のとおりであるので、被控訴人は前記賃貸借を控訴人キミに対抗しうべく、従つて控訴人キミは前記賃貸借の賃貸人たる地位を承継したものというべきである。

五、被控訴人が昭和三十年九月口頭をもつて控訴人キミ同和七に対し前記使用貸借を解除する意思表示をなしたことは、これを認めるに足る証拠がないが、当裁判所に明らかである本件訴状が右控訴人らに送達された昭和三十一年十月四日には、被控訴人から前記使用貸借を解除する意思表示のあつたものと認めうるので、前記使用貸借はこれによつて終了し、右控訴人らは被控訴人に対し本件土地及び前記倉庫を返還しなければならないものである。

控訴会社が本件土地上に原判決添付目録第三の建物を所有していることは当事者間に争なく、控訴人キミ同和七がこれを占有使用していることは、同控訴人らの明らかに争はないところであるところ、控訴会社が右の如く本件土地を占有する権原につき何らの立証なく、控訴人キミ同和七の占有の権原につき、前記の如くこれを認め得ない本件においては、控訴人らが被控訴人の土地賃借権を侵害しているものといわねばならない。しかして、被控訴人は前記の如く登記を経た建物を本件土地上に所有して本件土地を占有し、かつこの賃借権は第三者に対抗しうるもので、かような場合には、被控訴人は賃借権に基いて本件土地の明渡を求めうるものと解すべきにより、被控訴人に対し控訴会社は前記建物を収去して本件土地を明渡し、控訴人キミ同和七は右建物より退去して本件土地を明渡すべきものと言うべきである。

六、控訴人和七は、原判決添付目録第二の建物につき所有権の確認を求め、その保存登記の抹消登記手続を求めるが、同建物が被控訴人の所有に属し控訴人和七の所有に属しないことは、前認定のとおりであるので、控訴人和七の請求は、その余の点の判断をまつまでもなく理由がない。

七、よつて、右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 千種達夫 脇屋寿夫 渡辺一雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例